すうけいの神社崇敬会ブログ

すべての神社に崇敬会を。初穂料でも玉串料でもない、神社ファンディング「すうけい」一般社団法人 神社崇敬会の活動報告。

木から紙へ、紙からデジタルへ、というフィロソフィー(哲学)について。

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神社崇敬会秀島です。

今日は私たち神社崇敬会のテクニカル部分のフィロソフィー(哲学)である「木から紙へ、紙からデジタルへ」という考え方についてちょっとだけ書こうと思います。この考えは私たちの事業を形成する、ファイナンス・プロダクト・コミュニケーションのそれぞれのブランド、「すうけい」「おおはらえ」「KITOKAMI」において、その着想から設計・実施まで一貫して尊守しているものです。

冒頭の画像を見てください、これは大祓神事に使用する人形の進化の箱庭を表現しています。左から、飛鳥・奈良時代から使われていた木簡による人形、真ん中が現在も使用されている紙製の人形、そして右が「おおはらえ」で提案しているスマホ上に表示させた人形です。この画像に私たちの哲学が詰まっています。

 

時代によって進化する情報伝達技術

私が2年前に初めて神社に関わったとき、まずは神事に親しんでもらおうという企画を立てました。それが、スマホで身体をこすって穢れを送信するという超発想のWebサービス「おおはらえ」です。このWebサービスを考えるとき、もともとは紙製の人形(ひとがた)で体を擦って罪や穢を人形に遷して祓ってもらい焚き上げてもらうという神事を現代人に親しんでもらうにはどうすればいいか、この神事の一連の流れについて、これは情報伝達の手法に置き換えることが出来るのではないかと感じたのがスタートです。

そこで、大祓とはなにかという歴史や背景を徹底的に調べ、実は製紙技術が日本に入ってくる以前は木製の木簡・人形に名や呪詛をしたためて使用していたという事実に出会います。木簡というのはいわば昔の記録媒体です、それが製紙技術が開発されて紙に文字を記すようになり、そしてそれらの木や紙の記録媒体は人の生活の中でどのような役割を果たしてきたのかと言えば、情報の伝達の他ならないのです。

人から人へ何かを伝えるために、そして、それを確かな形として記憶させておく媒体として木があり、紙があったのです。大祓神事で人形に罪や穢を遷すという行為は、身代わりとなる人形に罪や穢という概念を書き込んで記憶させるということです。USBメモリに上書きするように、罪や穢という情報を書き込むのです。

そして、人形に遷された罪や穢は、祓いによって消去され、火の中で焚き上げられることで物理的に痕跡さえも消滅します。記録された情報を消去して物理的に消滅させる、そして罪や穢という情報が完全に消えることで人がリフレッシュされる。

木から紙へ情報伝達手段が移り変わった瞬間、当時の人々はどのように感じたでしょうか。今まで木製の人形を用いていたのに、もしかしたら紙製の人形では罪や穢を遷すことができないと考えた人もいるかもしれません。しかし、情報伝達技術の進化は止められなかったのです。

 

不易流行の中の進化の捉え方

「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」

これは芭蕉の『去来抄』の中の一節。変わらず大切にしなければいけない本質は忘れず、しかし新しい流行を取り入れて変化していく、「不易」と「流行」は根本は同じことだと説くのは「不易流行」の言葉の意味です。

私がスマホおおはらえをローンチしたとき、さまざまな意見が沸き起こしました。批判もされましたし、神職の方から応援も受けました。わたしは「おおはらえ」を奇をてらって作ったのではありません。これは時代の変容の中で、神道における神事の重要性をいかに一般の人たちに知ってもらうための導入部分と考えたに過ぎません。

神社や神道の伝統や文化は歪めない、神事などの真理には触れない、しかし、新しい技術、時代に則した方法で現代から未来へとつないでいくための新しいコミュニケーションは積極的に採用すべきだというのが私の考えです。

お祭りやイベントで神社に参拝するだけでなく、神事についても慣れ親しんでもらい、これからの厳しい時代の神社の護持運営について、もっと積極的に参加してもらうためには、不易の中にも流行を取り入れる鋭さを持たなければ、と私は感じています。

 

木から紙へ、紙からデジタルへ

私たちが生きている今の時代は、過去になり未来になるそのちょうど瞬間です。日本人として大切に守り伝えなければいけないことはたくさんあります。でも、その守り伝える伝達手段を間違えると、その大切な文化や伝統という情報すらも時代の中に消えてしまうかもしれません。

私はこう思います。

大切な何かを伝えるには、伝えたい未来に必ず残る方法を創り出し、真理が歪められないように守っていく。伝えたいのは情報であり、人の心であり、伝える手段は人の世の中で移ろいかわっていくという歴史を私たちは歩んできたのではないかと。